古くから神事と酒は切っても切れない関係がある。
日本において酒は、神に献上され、そこに集う人々が神を感じながら呑むものだった。
言ってみれば、酒には神と人間を結ぶ役割があるわけで、そんな酒が、人と人を結ぶのは必然かも知れない。
例えば、祝い事の場面。結婚する際の「親族固めの盃」は人を結ぶ酒である。結婚する二人、そして両家の結びつきと末永く幸福でいられることを祈り、私たちは酒を呑む。
固めの盃を体験したことのない人も、正月に飲むお屠蘇なら経験があるだろうか。普段は別に暮らす家族や親戚が集う正月。家内安全を願って飲むお屠蘇もまた祈りに似ている。
結婚式や正月などの、いわゆるセレモニーでなくても、日常にある少しだけ特別な日に、私たちは集って酒を呑みたくなる。例えば、誰かの誕生日祝い、結婚記念日、会社での昇進祝いなど。お祝いの席には、多くの場合、人が集い、酒が登場する。
以前、お世話になった上司の昇進祝いに参加したことがある。誠実な性格なのだが、迎合するのが苦手で、なかなか昇進できなかった人だった。それだけに、辞令が出たときには家族でもないのに「やっとか」と感慨深いものがあった。部下のためなら上司にも意見してくれることもあったので、職場のみんなが「是非ともお祝いの会をしたい」と宴席を企画したのだった。
そんな宴席にも関わらず、寡黙で真っすぐな性格のせいか、上司は開会の挨拶を辞退した。「らしいな」と思いつつも、少し残念な気持ちだった。いつもの飲み会のように、なんとなく酒宴が進み、参加者の頬が赤くなった頃のことである。
上司がサポートをしてくれた部下たち一人一人に、お礼を言い始めた。実際にしてもらって嬉しかったエピソードを一人一人に話す姿を見て、この人は感謝していなかったのではなく、単に口下手なのだと再確認した。
言語化して、感謝を伝えるというのは、本人が思っている以上にパワーがある。サポートの仕方を褒められた女性が感極まって泣いてしまい、それにつられるようにその場にいる人たちに涙が伝染した。
「ありがとう。みんな、本当にありがとう」
言葉は少なかったが、上司の想いが伝わり、その場にいる人たちの結びつきが強まったことが感じた瞬間だった。
一般的に、男性は女性に比べ、感情を表に出さない。自分のお祝い事のとき、その嬉しさを表現するのも苦手なら、近しい人への感謝の言葉を述べることに照れてしまう人は多い。言葉足らずは、ともすれば誤解や軋轢を生んでしまう。しかし、酒を一緒に酌み交わすことによって、言えなかった想いを伝えることができる。想いを伝える酒は、神への願いを伝える祈りに似ている。
一方で、酒は悲しい場面にもよく合う。セレモニー系で言うなら、通夜で酒と共に故人を偲ぶ「通夜振る舞い」は、人を想う酒の典型だ。
焼香だけで帰るには、なんだか寂しい。もう少し、故人とのことを思い出す時間が欲しい。そんな気分のときに、通夜の酒は優しい。
久々に集まった人たちと故人の思い出を語らうのは心の整理でもあり、供養でもあると感じる。
人を想い、自分の感情に一区切りつけるという意味では、失恋のときの酒も悲しく、優しい。素晴らしかった時間に想いを馳せることも、ああすればよかったという後悔も、一人になった寂しさも、大事なものを失った喪失感も。心を締め付けるような感情には、酒がよく似合う。
さまざまな感情が入り混じり、気持ちに整理をつける酒としては、娘を嫁に出した夜、父親がそっと飲む酒がある。父親でなくとも、親しい人の結婚に際し、複雑な想いを抱いたことがある人も少なくないのではないだろうか。
数年前、親友の結婚式に出席した。
今どき珍しい盛大な結婚式の後、新婦の兄貴分の男性に声をかけられた。
「もう一杯だけ呑んで帰らないか。静かに乾杯したい気分なんだ」
静かなバーで、グラスを傾けながら、私たちはどちらともなく気持ちをぽつりぽつり語り始めた。
「アイツ、旦那さんを立てて、うまくやっていけるかな」
「うん。大丈夫だとは思うけど……」
グラスの中で、氷が音を立てる。
「盛大な式だったよな」
「感激冷めやらぬって感じ。でも大変なところにお嫁に行っちゃったんだなと思う」
「大丈夫なんかな。きっと……。うまくやれるよな」
「……うん。きっと」
親友が旦那さんを紹介してくれたときの、はにかんだ笑顔を思い出す。祈るような気持ちで酒を飲み干した。人を想い、幸せを祈る酒は、やはり神事に酒が献上されるときの祈りに似ている。
コラムニスト 藤田尚弓